日本一遊興費が高い遊郭…名古屋・中村遊郭
名古屋唯一のソープランド街・中村遊郭。
現在ではショッピングセンター・ピアゴ中村店が営業している辺りを中心として碁盤の目状に道路が延びており、不等辺八角形型に作られた吉原遊郭は、周辺を幅が一間の堀で囲まれていたそうで、堀の周囲からは堀の中の様子を見ることはできなかったそうです。
中村遊郭の歴史
江戸時代、名古屋の風俗のメインは百花(もか)と呼ばれる私娼で、幕末期の安政年間になると、北野新地に役者芸人の寄宿が認められるようになり、その後日出町付近での公娼が許可され、更に北野新地の南西~園町から東、大須観音の堂裏、堀川より東に公娼を移させて、この一廓が「旭廓」と呼ばれるようになりました。
明治38年には、娼家が約170軒、娼妓が約1600人という規模を誇った旭廓ですが、その後名古屋市の都市規模が大きくなり、更に旭廓では手狭になってきたという理由で、紆余曲折を経て最終的に愛知郡中村への移転が決まり、これを気に「中村遊郭」という呼称となりました。
その後、中村遊郭は更に繁栄を極め、昭和初期には娼家およそ140件、娼妓約2000人という規模を誇っており、全国の娼妓の約4.5%が中村遊郭に集中していたというからもその規模が計り知れるのではないでしょうか。
中村遊郭は日本一遊興費が高いことでも知られていました。その辺りも、見栄っ張りな名古屋人の気質が伺えるのではないでしょうか。
また、中村遊郭では吉原遊郭等と同じように花魁道中も行われ、県内外から数多くの見物客が訪れ、かなり華やかであった模様です。
しかし、戦中には名古屋は大規模な空襲の被害を受け、戦災のため55件の娼家が焼失し、残ったのは19件のみでしたが、戦後には進駐軍が客として数多くやってきたため、再び賑わいを見せていましたが、その後進駐軍の中村遊郭の利用が禁止されてしまいました。
昭和20年には貸座敷は特殊飲食店に変更となり、中村遊郭は赤線となりました。
現在の中村遊郭
現在の中村遊郭跡地であるピアゴ周辺には、10軒程度のソープランドが営業しています。
現在では、中村遊郭跡地にはショッピングセンター「ピアゴ中村店」が営業していますが、現在では家族連れも訪れるショッピングセンターであるにも関わらず、周辺にはソープランドが乱立しているため、なんとも言えない奇妙な雰囲気を醸し出しています。
現在でも中村遊郭跡地を歩くと、当時の建築がそのままデイサービスセンターや住居、ソープランドとして使用されているものもあり、当時の面影を偲ぶことができます。
名古屋にはブスが多い!?という噂の真偽
「名古屋の女にはブスが多い」「仙台、水戸、名古屋は日本三大ブスの産地」と言われている名古屋ですが、実際には名古屋には美人が多いようです。
「名古屋にはブスが多い」と言われている理由の一つとしては、名古屋は江戸時代に御三家である尾張藩があったため、美人は根こそぎ江戸に連れて行かれてしまった、という説や、保守的で排他的な土地柄であったため、名古屋の人は名古屋の人としか結婚せず、そのため美人が生まれにくかったのでは、と言われていますが、それも今や過去の話。現在では派手目の名古屋美人が名古屋の街を闊歩しています。
また、名古屋は大都市であるため、近隣から若い美人な女のコたちも集まって来ています。
当然、名古屋のソープで働いている女のコのレベルは高いようです。