外国人居留地にできた関西随一のソープタウン 神戸市兵庫区 新開地・福原
観光地としても有名な神戸市三宮から、電車に揺られること約10分の場所にあるのが、新開地・福原と呼ばれるソープタウン。
実は、新開地・福原は関西随一のソープタウンとして有名な場所です。
また、大阪市内のソープ街が一生摘発され壊滅状態となってしまったため、ソープランドで遊びたいスケベな男性たちが、大阪方面からも多数やってくる歓楽街です。
新開地・福原には、ピンク映画館やアダルトグッズショップ等、ソープランド以外にもピンク産業に従事するショップが軒を連ねている、いかにもといった猥雑な雰囲気にワクワクしてしまう男性も多いのではないでしょうか。
新開地・福原の歴史
1858年、日米修好通商条約締結後、外国人居留地が設置された頃に、地元の有力者たちにより神戸宇治川河口右岸に作られた福原遊郭でしたが、その後大阪~神戸の鉄道開通の折に新福原に移転し、現在では福原町と呼ばれるようになりました。
その後、1872年に制定された芸娼妓開放令、更に三宮や栄町に数多くの妓楼が営業するようになり、新福原の貸座敷は一時激減しましたが、その後、新たに営業を始める場合、貸座敷の開業は福原に限定されたため、市街地の貸座敷や娼妓は福原に集中するようになります。
その後、100件以上の貸座敷、1000人近くの娼妓が働く一大遊郭となり、郭以外にも飲食店、喫茶店等数々のお店が営業する大きな歓楽街として盛り上がりを見せていました。
その後、1906年には遊郭の約半分が火事の被害に遭ってしましましたが、その後も福原遊郭は栄え続けます。
戦後、福原は赤線となりますが、その後1958年に制定された売春防止法によって福原遊郭は全店廃業、その後トルコ風呂へと転身し、ソープランドへと改名されました。
新開地・福原にあった、幻の風俗業種
現在ではソープランドが有名な福原の風俗ですが、昭和30年代末~40年代にかけては、福原には他の風俗街にはない、一種独特な風俗業種のお店が営業をしていました。
その風俗は「浮世風呂」という名の風俗店で、多くの浮世風呂は赤線時代の建築物を改装して利用されていたということです。
浮世風呂は、畳が敷かれたプレイルームと小さなお風呂が付いた部屋で遊ぶ形式の風俗でしたが、ソープランドとは違い、風俗営業の認可を受けておらず、度重なる取締りの末に淘汰されていきました。
その後、福原のソープランドは相変わらずの盛況っぷりでしたが、1980年代にはエイズが大流行し、その際に福原のソープからエイズの感染者が出たという噂が流布してしまい、そのせいで福原のソープランドは大打撃を受けてしまいます。
その後、全国的なソープランドのイメージアップ作戦の結果、なんとか客足は戻ってきましたが、次にバブル崩壊の痛手が福原のソープランドを襲います。
その後も新たな風俗業種であるピンクサロンやファッションヘルス等の台頭により、更に窮地に立たされた福原のソープランドでしたが、しかし現在でもあの手この手の経営努力により福原のソープランドは現役で営業を続けており、多数の風俗ファンから愛されています。
現在の新開地・福原のソープランド
新開地・福原のメインストリートは柳筋と桜筋で、その間に走る細い路地裏には、ソープランドやアダルトショップのお店が多数軒を連ねています。
福原のソープランドの傾向としては、激安店から高級店まで幅広く営業をしているなかでも、激安店が人気の模様。
また、福原で働くソープ嬢は、他のソープタウンに比べると若い女の子が多いとのことで、若い子好きにはたまらないのではないでしょうか。