1. 今は遠い、土佐No.1の栄光…高知県高知市「玉水遊郭跡地」

今は遠い、土佐No.1の栄光…高知県高知市「玉水遊郭跡地」

今は遠い、土佐No.1の栄光…高知県高知市「玉水遊郭跡地」

昔は栄えていた色町であっても、現在となっては見る影もない。そんな街は日本全国至るところに存在します。 高知県高知市にある「玉水遊郭跡地」もそんな遊郭跡地の一つ。

風俗太郎
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今は遠い、土佐No.1の栄光…高知県高知市「玉水遊郭跡地」

今は遠い、土佐No.1の栄光…高知県高知市「玉水遊郭跡地」

昔は栄えていた色町であっても、現在となっては見る影もない。そんな街は日本全国至るところに存在します。
高知県高知市にある「玉水遊郭跡地」もそんな遊郭跡地の一つ。
昭和初期の花柳界を舞台とした宮尾登美子著作の小説「陽暉楼」の舞台となり、映画化もされた高知No.1の大料亭陽暉楼」が実在した場所としても知られている玉水遊郭跡地は、現在では裏寂れた町並みが物悲しい雰囲気の場所ですが、かつて、昭和の始めには一大遊郭街として県内外にその名を馳せていた場所でした。

玉水遊郭の歴史

江戸時代には、高知県の前身である土佐藩では、芝居や料亭は禁止されていました。しかし、明治の時代になると、それらは解禁され、鏡川河畔沿いに玉水新地が設置され、多くの料亭お茶屋が軒を連ねるようになりました。
陽暉楼は、その中でも最大規模の料亭で、文人墨客を集めた大墨画会を開催したり、施設内に文人の書や絵画等を展示したりと、文化的な方面にも力を入れていたり、また会席料理を取り入れたりと、様々な趣向を凝らして訪れる人々を楽しませていたとのことです。
陽暉楼は、明治11年開催された谷干城将軍の帰国祝いの観月会にて、谷干城が詠んだ詩から取った「得月楼」と改名し、現在でも歴史ある料亭として営業を続けています。
そんな陽暉楼の賑わいを中心として、玉水遊郭は大きな盛り上がりを見せ、昭和初期には27件の妓楼遊女が200人以上も働いていたそうです。

現在の玉水遊郭跡地

玉水遊郭は戦災を免れて続いてきた街ではありますが、しかし現在では玉水遊郭跡地である高知市玉水町の「上町五丁目」「旭町一丁目」駅周辺には、当時の華やかな面影もなく、一見するとただのオンボロの住宅地のようにしか見えません。
土手の下の用水路を挟んだ場所には、旅館が建ち並んでいますが、この辺りの旅館は、売春防止法が施行され、遊郭が廃止された後に旅館に鞍替えしたもののようです。
半ば朽ち果てているようにしか見えないかつての遊郭跡の旅館は、看板が出ていても営業しているように見える建物は少なく、一見すると地元の人の住宅として使用されているだけのように見えますが、夜になるとその様相は変わります。
客引きの中高年女性が軒下に椅子を出して、通りを行く男性を呼び止める、ちょんの間となるのです。
玉水遊郭跡地ちょんの間は、完全に地元の馴染み客向けの営業のようですが、大体10,000円前後で遊べるようで、やはり30代40代以降の姫が多いようです。

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