1. 甲府に栄えた甲信越地方最大の遊郭と、現在の山梨の風俗

甲府に栄えた甲信越地方最大の遊郭と、現在の山梨の風俗

甲府に栄えた甲信越地方最大の遊郭と、現在の山梨の風俗

山梨というと、甲信越地方以外の人にはあまり風俗街のイメージはないかもしれませんが、実はその昔は、山梨には全国でも有数の遊廓がありました。

風俗太郎
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甲府に栄えた甲信越地方最大の遊郭と、現在の山梨の風俗

甲府に栄えた甲信越地方最大の遊郭と、現在の山梨の風俗

山梨というと、甲信越地方以外の人にはあまり風俗街のイメージはないかもしれませんが、実はその昔は、山梨には全国でも有数の遊廓がありました。
現在でこそその面影はほとんど残ってはいませんが、全盛期は全国でも名の通った遊廓だったとのことです。

山梨県初の大規模遊廓誕生「新柳遊廓」

山梨には江戸期には遊廓はなく、江戸後期に甲府城下町南端にあった緑町、西一条町等に芝居小屋、料理屋が並ぶ歓楽街があり、更に城下南東部には甲州街道が通っており、甲府柳町宿という宿場町が作られており、旅人向けの旅籠屋や料理屋が並んでおり、そこで旅人に配膳のサービスをしたり、時には売春行為も行う飯盛女という給仕兼売春婦のような女性たちが働いていました。
飯盛女は半ば幕府公認とされていたものの、甲府は幕府の直轄領であるためにあまり良い顔をされずに、期間は短期間とされていました。
そして、明治時代に入ると、武家地の移転に伴い、柳町宿は上府中尊躰寺跡地に移り、明治4年、山梨で初めての遊廓となる「新柳遊廓」が設置されました。
新柳遊廓は、甲府の城下町に作られ、22軒もの妓楼が営業し、全盛期には日本有数の遊廓と言われていた程でした。
しかし、たった36年後、明治40年に起きた上府中大火により遊廓は全焼。あっけなくその幕を閉じてしまいました。

新柳遊廓がそっくりそのまま移転した「穴切遊廓」

上府中大火により全焼してしまった新柳遊廓は、その後甲府市街地西の相川左岸にある穴切田圃と呼ばれる水田地帯に移転。
新柳遊廓にあった22軒の遊廓の全てが移転し「穴切遊廓」と命名されました。
その後も穴切遊廓は甲信地方最大規模の遊廓として栄え、全盛期には娼妓の数はなんと280名にも上るほどで、遊廓としてその名を轟かせていましたが、戦争に突入すると、昭和20年の甲府空襲で穴切遊廓も焼失。翌年にはGHQが公娼制度を廃止したため穴切遊廓の歴史は幕を閉じ、赤線地帯へと変貌しました。
そして、1956年には売春防止法の成立、58年の施行により完全に売春地域としての機能を停止させました。

山梨県にあったその他の遊廓は?

山梨県には、その他上野原に関山遊廓と呼ばれる遊廓もありましたが、こちらはにたった2軒のみの妓楼がある小さな遊廓でした。

現在の山梨の風俗事情は?

現在では、山梨には甲府市にある甲府中央商店街に「裏春日」と呼ばれる歓楽街があり、ソープランド、ピンサロ、セクキャバ等の風俗が遊べる風俗タウンとして知られています。
現在、甲信越地方にてソープランドが楽しめるのは、新潟の昭和新道と甲府市の裏春日のみだそうです。

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