下関は日本の風俗発祥の地!? 山口県下関市「マルハ通り」
下関と言えばふぐが有名ですが、風俗ファンに有名なのはソープランドです。
下関のソープランドが楽しめる場所は「マルハ通り」。
現在では「マルハ通り」と言えばソープ街の名称のようになっていますが、マルハ通りのネーミングは、かつて下関を拠点としており捕鯨等の水産漁業、船舶事業で栄えていた現在のマルハニチロ水産の本社ビルがこの地にあったことに由来しています。
デリヘル等の出張型風俗が主流となっている山口県の中で、マルハ通りにはソープランドが十数件営業している唯一のソープ街です。
昨今ではいささか裏寂れた雰囲気もただようマルハ通りではありますが、しかしその立地の良さもあり、まだまだ多数の風俗ファンたちで賑わっているソープ街です。
そんな山口県下関市は、実は日本の風俗の発祥の地とも言われており、長い風俗の歴史を持つ土地でもあります。
山口県下関市は日本の風俗発祥の地!?
山口県下関市は、その昔源平合戦が行われた場所としても有名ですが、実は下関は、日本の風俗発祥の地とも言われている土地なのです。
壇ノ浦の戦いで平家が敗れた後、平家の官達は主人を失って路頭に迷うことに。そして、生きるために「稲荷町遊郭」で体を売って生計を立てました。それが、日本で始めての遊女の誕生だったと言われています。
ちなみにこの官達たちは、そもそも非常に位が高い身分だったこともあり、遊女と成り果てた後も格式の高さのある高級遊女として活躍し、客の上座に座るのも当然という立場であり、他の遊郭では遊女が着用することのない足袋の着用も許されていました。
安徳天皇の命日である先帝祭には、稲荷町遊郭の遊女たちが正装して参拝していましたが、現在でも華やかな伝統行事である「先帝祭上臈道中」は、下関を代表するお祭りとして引き継がれています。
また、豊前田町には豊前田遊郭があり、こちらは下級遊女と遊べる遊郭で、こちらは幕末~明治にかけて徐々に稲荷町遊郭が廃れてくる一方で、明治34年辺りには盛り上がりを見せていました。
下関には他にも明治初めから芝居小屋のあった新地町に、大正~昭和の戦後に至るまで新地遊郭が置かれており、その街並みからは、今でもレトロな昭和の色町の風情を垣間見ることが出来ます。
下関の遊郭は、第二次世界大戦の戦火により、ほとんどが焼失してしまい、全滅してしまいましたが、その後稲荷町遊郭以外の遊郭は復興しました。しかし、その後、売春防止法の施行によって全ての遊郭は姿を消し、下関の風俗は現在のマルハ通りのソープ街へと姿を変えてゆきます。
現在の山口県下関の風俗街「マルハ通り」
現在の山口県下関市の風俗は、下関駅西口すぐの場所にある「マルハ通り」に集中しています。
非常にアクセスが良い場所に立地しているため、地元のお客さんからも遠方から来る観光客やビジネスマンたちからも重宝されているソープ街です。
マルハ通りのウリはもちろん十数件営業しているソープランドです。
山口県内では唯一ソープランドの営業許可が下りているソープ街ですから、山口県に足を運んだソープファンは必ず行っておきたい風俗街です。
マルハ通りでは、他にもデリヘルはもちろん、ヘルスやピンサロ、セクキャバ等も楽しむことが出来ます。
下関市の風俗街は、飲食店街と風俗街とではっきりと住み分けがなされれているため、お店も探しやすく使いやすい風俗街です。
ぜひ山口県に訪れた際には、ソープを初めとするマルハ通りの風俗を楽しんでみてはいかがでしょうか?