新宿、日本有数の歓楽街の風俗の歴史
新宿歌舞伎町と言えば、日本有数の歓楽街として知られている場所。
眠らない街と言われている新宿歌舞伎町、そして歌舞伎町近辺は、大正時代から遊里として多くの男性が遊びに来ていた場所でした。
内藤新宿の遊郭が始まり、新宿二丁目ゲイタウン
その昔、甲州街道の内藤新宿には遊郭が点在していました。大正の時代に入ると、それらが新宿二丁目に集められたとのこと。
その後、戦災により遊郭は焼け落ちて、赤線→青線、そして現在のゲイタウンへと変貌を遂げてきました。
現在では、その昔の赤線・青線時代の面影はありませんが、日本でも有数のゲイの聖地として、日々ゲイの人々や観光客、外国人で賑やかに栄えています。
二丁目にはゲイ向けのハッテン場や、ゲイの立ちんぼ等もおり、そちらの趣味がある男性の裏風俗としての一面も持っています。
日本有数の歓楽街、歌舞伎町
眠らない街歌舞伎町には、数え切れないほどのキャバクラ、セクキャバ、風俗店が立ち並んでいます。
歌舞伎町のすぐ横にある区役所通りを挟んだ向こう側、花園神社のすぐ横には、ゴールデン街と呼ばれる飲食店街があり、二階建ての木造家屋がギュウギュウ詰めに立ち並んでおり、数人しか入れないようなバーやスナック、ラーメン屋、レストラン等が営業している、独特の雰囲気を持つ飲食店街となっています。
多数の文化人も通ってくるというゴールデン街ですが、昭和33年に売春防止法が施行される前までは、青線地帯で、二階建ての小さな飲食店が立ち並んでいるのも、ゴールデン街の建物がちょんの間として使用されていた名残であるようです。
2004年頃から、一時期は歌舞伎町浄化作戦が行われ、ヤクザの締め出しや風俗店の摘発、スカウト・キャッチ、また危険ドラッグの取し締まりが激しく行われていたものの、現在ではまたブラック経営の風俗店やキャバクラ、ぼったくりバー等が増えてきており、竹の子剥ぎの被害に遭ったという話もよく聞きます。
被害は日本人ばかりではなく、外国人観光客にも及んでおり、ぼったくりバー等への注意令が出ているほどだとか。
新宿西口方面の風俗
今現在は新宿副都心と呼ばれ、超高層ビルが立ち並ぶ新宿西口方面。
近未来的な風景が作られているこの一体には、既に昔の風景は残っていないのかと思いきや、新宿中央公園西側の十二社通り近辺には、今でも花街だったころの面影がちらほら。
応永年間に建立されたという、新宿中興公園脇にある熊野神社は江戸の名所の一つとして賑わいを見せた場所であり、その昔はちょっとした花街として知られていたそう。
料亭が24件もあり、芸者も60人近くが在籍していたとのことです。現在でも、ホテルや細い階段道等に、昔の名残を観ることが出来ます。
今現在ではすっかり時代の最先端を行く街になってしまった新宿ですが、良く目を凝らしてみると、その昔の風俗や花街の名残は街のいたるところで目にすることが出来る新宿の街。
今も昔も、人が集まる場所には風俗が必ずあります。少しずつ形を変えつつも、それは変わらず続いていくのではないでしょうか。