東京の遊郭はどこにあった?
東京で一番有名な遊郭は吉原
日本全国に元々あった遊郭も売春防止法によりそのほとんどが廃楼と化してしまいました。地方によっては遊郭を旅館や料亭とし楽しむ事も出来ますが、そのほとんどが取り壊され、現在ではソープランド街になっているというところがほとんどです。
東京にあった遊郭でも、とりわけ有名な場所は吉原です。幾度となくドラマや映画の舞台になった吉原遊郭の魅力はただ、売春をしていた売春宿とは違う遊郭としての魅力が有るのではないでしょうか?
今回は、そんな東京にあった遊郭について紹介していきたいと思います。
吉原遊郭の今
東京の江東区にある千束3丁目、4丁目あたりが吉原とされていました。当時はお歯黒淵というお堀で囲まれたひとつの街のようでした。遊郭と呼ばれる遊女達と遊ぶ事の出来る楼があり、教養や富を持った人たちの粋な遊び場として存在していました。
現在は売春防止法により売春が行われていた遊郭は取り壊されその代わりに、ソープランドが立ち並ぶソープ街として有名な街となっています。
吉原はソープ街の中で質、数ともに日本一の街で、老舗のソープランドも多くあり、大衆店、中級店、高級店や競合店がひしめき合うソープランドの激戦区となっています。
新宿にあった二丁目遊郭
遊郭はなにも吉原だけとは限りません。今アジア最大の規模である歌舞伎町のある新宿にも遊郭はありました。
場所はと言うと新宿2丁目のあたりにあり、もともと宿場まちとして栄えた新宿の唯一の遊び場として遊郭が存在していました。何度も火事にあった吉原にたいし、被害を受けなかった2丁目遊郭は全盛期を迎え、遊郭からカフェーやバー(特殊飲食業)に形を変えてモダン遊郭として、サラリーマンなどを中心に栄えていました。
売春防止法により赤線地帯が無くなり、トルコ風呂などに姿を変えましたが。現在残るのはソープランドが3店ほどとなっています。
現在はゲイタウンとして有名な新宿2丁目ですが、実は新宿の遊郭のあった色町だったのです。
今は無き洲崎パラダイス
遊郭跡地には、ソープランドなどが建てれその名残りを見る事が出来ますが、東京の洲崎は違うようです、洲崎とは現在の江東区東陽町にあたる場所で、吉原に次ぐ遊女の多さで江戸時代には賑わいを見せていました。吉原は1500人の遊女に対して、洲崎は1000人もの遊女が働いていました。
売春防止法が成立する1958年まで、赤線としてカフェーやバーなど(特殊飲食店)が立ち並び、洲崎パラダイスとして、サラリーマンや職人達が遊んでいたの出そう。
現在では、喫茶店などの名残りはあるが交通の便の悪さなのか、ソープランドなども無く廃れてしまった遊郭のひとつです。