1. 420年間続いた琉球王国の遊郭、現在も続く辻の風俗街

420年間続いた琉球王国の遊郭、現在も続く辻の風俗街

420年間続いた琉球王国の遊郭、現在も続く辻の風俗街

現在の沖縄県、那覇市の辻は、ソープランドを初めとする風俗店、ラブホテル等が多数営業する歓楽街となっています。

風俗太郎
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420年間続いた琉球王国の遊郭、現在も続く辻の風俗街

420年間続いた琉球王国の遊郭、現在も続く辻の風俗街

現在の沖縄県、那覇市の辻は、ソープランドを初めとする風俗店ラブホテル等が多数営業する歓楽街となっています。
しかし、太平洋戦争中に空襲に遭い、壊滅的な打撃を受ける以前のは、遊郭として420年間もの間栄えていた、独特の歴史のある遊郭の街でした。

辻遊郭の尾類とは?

1672年に羽地朝秀が設置した辻の遊郭には、尾類(ジュリ)呼ばれる遊女たちが在籍し、冊封使、首里の貴人、那覇の商人といったお客を主に相手としており、更に琉球の一般婦女子を性犯罪から救う、という名目もありました。
辻の妓楼は約300件近くもあり、各妓楼は抱親(アンマー)と呼ばれる妓楼の経営者がおり、そこに尾類売い(ジュリウイ)と呼ばれる幼児の人身売買組織が尾類となる子どもを売りにくる、というシステムで成り立っていました。
また、辻遊郭は全て女性のみで自治運営されており、男性は一人もいませんでした。

尾類の人生

人買いにより売られてきた幼女たちは、遊郭内にて礼儀作法や三線、料理等を教え込まれました。
特に、お客さんの前では、尾類は決して食べ物を食べてはいけない、というのが尾類のしきたりだったそうです。
一人前になると個室を与えられて、そこで初めて自分のお給料が手に入るわけですが、そのお給料からは人身売買で自分が買われた時の代金、利息、仕事で使う服の代金等を月々引かれたものでした。
また、一人前と認められて個室を与えられるまでは、お給料をもらうことはできず、全て抱親のお金となっていました。
そうは言っても、尾類には本土の遊女たちとは違い、ある程度の自由は与えられていたようで、例えばお客に対する拒否権があったり、自分の借り上げ金と利息分を払い終えると、自由の身となり、開放してもらえたそうです。
尾類たちは、で血縁のない家族のような形を形成しており、抱親は親のような存在でもありました。
辻の尾類たちは、独自のしきたりを守って生活をしており、当間森を崇拝し、ジュリ馬舞踏行列のような、独自の祭事等が行われていたようです。

辻遊郭が担った沖縄の財源

辻遊郭は、那覇における地元の財政界、そして那覇の港にやってくる商人たちの社交場として栄えた場所であり、那覇市にとっても辻遊郭は大きな財源として見なされていました。
明治41年には、那覇の区税の税額中、なんと6分の1にも当たる金額をが納税したと言われています。
辻の尾類たちには、貸座敷税という税が課されており、那覇の道路、給排水施設等のインフラ設置についても、からの税収で賄われていたとのことです。

辻遊郭、最後の日

戦争の時代に突入すると、辻は本土からやってきた日本軍の将校たちの遊び場となったものの、空襲で焼け野原となってしまい、その後尾類たちは、従軍慰安婦として日本軍と行動を共にするために、戦場に駆り出されることとなります。
戦時中に多くの尾類は亡くなってしまったものの、生き延びた尾類たちは、料亭を経営しながら辻を再建するために尽力していたと言います。
現在では、その料亭も閉店してしまっていますが、昭和53年には那覇市3大祭りとしてジュリ馬祭りが復活し、その後婦人団体の反対で一度は途絶えてしまいますが、2000年に再度「伝統の継承する義務、地域の活性化のため」復活し、現在に至るまで尾類の歴史とその伝統を伝え続けています。

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