1. 今は面影少ない富山の赤線地帯 富山「東新地」

今は面影少ない富山の赤線地帯 富山「東新地」

今は面影少ない富山の赤線地帯 富山「東新地」

今現在は、風俗街という風俗街がほぼない北陸・富山県。 現在では富山市桜木町にわずかに歓楽街が形成されているものの、規模的には非常に小さいものとなっています。

風俗太郎
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今は面影少ない富山の赤線地帯 富山「東新地」

今は面影少ない富山の赤線地帯 富山「東新地」

今現在は、風俗街という風俗街がほぼない北陸富山県。
現在では富山市桜木町にわずかに歓楽街が形成されているものの、規模的には非常に小さいものとなっています。
しかしその昔、富山には東遊郭と呼ばれる遊郭があり、芸妓置屋が49軒、芸妓が約300人、72軒の貸座敷、娼妓は103名も働いたそうです。
大正2年6月には、愛宕遊郭が移転してきて、東遊郭と合併したとのことです。
また、櫻木町にも遊郭があったようですが、明治10年に大火があり、妓楼東新地に合併されました。その後、櫻木町妓楼跡に残された料理屋に内芸妓を置いて花街が作られていましたが、昭和元年に芸妓置屋としての許可を認められ、その後高級花街として知られるようになります。
しかし昭和20年、富山市は太平洋戦争における富山大空襲により、徹底的な爆撃を受け、市街地の99.5%が焼き尽くされるという甚大な被害を受けてしまいます。
当然のことながら、遊郭花街も全て燃え尽きてしまいますが、戦後の復興の最中、東新地には桜街と北の丁という二つの花街置屋が17件あり、約30名の芸妓が、更に北の丁には置屋が10軒、25名の芸妓が働いていたそうです。そして東新地内には南丁、中ノ丁に新世界、自由街、楽天地等の赤線があり、300人を上回る数の娼婦が働いていたそうです。
また、富山駅前には青線も存在していたそうです。
富山市内の遊廓建築は、太平洋戦争の大空襲により焼失してしまいましたが、赤線時代の名残である料亭や、赤線建築がひっそりと残っているため、興味がある方は散歩してみると面白いかもしれません。


現在は風前の灯である富山の風俗

富山の現在の風俗は、ほとんどがデリヘル業種。店舗型風俗はほとんど営業していません。
そんな中、僅かに店舗型風俗が楽しめるのが富山市桜木町。数軒のピンサロセクキャバが営業しているのみだそうです。
実は、富山ではピンサロすら許可されていないため、ピンサロでも裏風俗扱い。東京と比較してもプレイ料金は高めだそうですが、無許可営業というレア物ですから、仕方がないのかもしれません。
もちろんピンサロでは本番はナシ。手コキかフェラでフィニッシュ、というのが定番です。
富山にはソープランドもありません。遊べる業種が限られてしまっている富山風俗ですが、デリヘル富山全体で100店舗近くが遊べるようですので、ピンサロではものたりない…という風俗ファンにはデリヘル遊びをオススメします。

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